「日本書紀」に読み取れる忠犬ハチ公的な物語

2013年11月19日

○忠犬ハチ公
 「飼い主が死亡したあとも、渋谷駅前で飼い主であった大学教授・上野英三郎の帰りを待ち続けた」というエピゾードはあまりに有名であり、映画の題材としても取り上げられ、世界的に有名なお話だと思います。

 では、忠犬ハチ公的なお話は、今までなかったのでしょうか?

 最も古い忠犬ハチ公的文章は、歴史書『日本書紀』にその忠犬ぶりを発揮した犬の物語が紹介されています。
 『日本書紀』は『日本紀』とも呼ばれ、720年に勅修された日本の神代から持統天皇までの歴史書です。原文は漢文のため、ワープロなどで表示できない文字があります。

 

○ 日本書紀 第21巻 
第三十二代 祟峻天皇(臣下-蘇我馬子大臣に暗殺された唯一の天皇)の二年六月の条(『古事記』には記載がありません)
 ~蘇我馬子大臣(そがのうまこおとど)と物部守屋大連(もののべのもりやおおむらじ)
  政治的宗教的
(仏教派と神道派)立場を巡っての勢力争いで軍事衝突をした時の話~

 『守屋の家臣の万(よろず)というものが飼っていた白い犬が、敗軍となって戦死した主人の万の五体バラバラに裂かれた屍の周りを吠えて廻って、頭を咥え出し、古い墓まで運び入れて、自分はその傍らに臥したまま餓死した。朝廷では、大変に感心して後に万とその犬を同じ墓に埋葬した。』
と言うお話があります。

また、
『この戦いで数百人の戦死者が出て、餌香川(えがのかわ:大阪府羽曳野市の恵我川)の川原に遺体が散乱腐敗して誰が誰だか見分けられないほどの惨状だったが、櫻井田部連胆渟(さくらいのたべのむらじいぬ)の飼い犬が主人の死骸を咥えて離さず、やがて墓まで引きずって行き、収めてからどこかに消えていった。』
と言うお話もあります。

 このように、日本最古の歴史書にも忠犬ハチ公的物語が存在し、『人と犬との絆』は、今も昔も変わらず私たちの心を癒してくれるものであったと思われます。

 

  ハチ公は、昭和10年3月8日午前6時過ぎ、享年13歳で亡くなりました。死因としては、今では投薬によって予防できる犬フィラリア症であったと言われています。しかし、胃内からは焼き鳥の串が数本刺さっているのが見つかり、胃穿孔による死亡説や、13歳という年齢から老衰による自然死も考えられています。

 平成22年に、再度死因を調べるため、ホルマリンに保存してあった臓器を確認したところ、肺は重度の癌に侵されてたいたこともわかり、定説通り、死因はフィラリア症および肺癌とされました。

 ハチ公のはく製は国立上野科学博物館に、臓器標本は東京大学農学資料館に展示され、心臓に寄生しているフィラリアも観察できます。

  なお、忠犬ハチ公の銅像は、全国数か所に点在していますが、お墓は青山霊園に葬られている亡き主人・上野英三郎のお墓の傍らに建てられています。

  ご興味のある方は、忠犬ハチ公巡りをしてみてはいかがでしょうか?

 

 

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